平成20年9月・おもちゃの玉六が消えた
今年の夏の暑さは異常だった。(と言うように書いておこう)
気温としては昨年日本列島を襲った猛暑に比較するとやたら高かったとは思えない。
これは体力が衰えているから「いやー、今年の夏は暑かったなし」と思うのだろう。
私ははすっかりやる気がなくなった。おまけにルーターがおかしくなって、ついに
ネットがつながらなくなった。どうもパソコン本体が悪かったのが原因らしいが、
例によって設定をつつきたおしたから、ますますおかしくなり、ついにはフォーマット
するはめに陥った。98の時にはしょっちゅうやっていたが、XPっちゅうやつは始末
に終えないほどやっかいだった。しかもSP2からSP3までバージョンをあげなければ
いけない。その間ウィルスセキュリティソフトはうるさく注意を促す。
「そがいなことは判っとらえ、うるさやのー」などと言いながらなんとか復旧したけれど
何もする気力が無くなっていた。9月の声を聞いてからも、なーんもする気が起きな
かった。そんなある日商店街を歩いていたら「ぐわーん」、衝撃が走った。
おもちゃの殿堂「玉六」が消えていたのだ。ショック!!
左はかつての店舗
私たちいわゆる団塊の世代が子供の頃、宇和島でも数少ないおもちゃ屋の老舗
として、少年たちに多くの夢を与えてくれた店だった。乏しい小遣いで組み立てキット
の飛行機や軍艦を買った事がある。ショウウィンドウの中に置いてあるマテル社
(たぶんそうだったと思うが)の銀色に輝くモデルガンを物欲しげに眺めたり、まだ
プラモデルが盛んになる前の組み立てキットでは、戦艦武蔵を600円の大枚をは
たいて買ったものの、結局完成には至らなかった思い出がある。
大型スーパーが郊外にできてから、この店も例に漏れず厳しい状態だったのだろう。
今年の初め、偶然押し入れの奥から電車とレールのキットが入った箱を見つけた。
今は三十を過ぎる息子のために買ったもので、当時の記憶がよみがえった。
トミカのセットで、レールは縦横無尽につなぐ事ができる。引き込み線だとか、鉄橋
だとかも出てきた。しかし単三電池を入れてもウンともスンとも言わない。そこで
私の中の壊し虫が騒ぎ始めた。そうしてかなりの時間をかけて動かす事に成功した。
私の脳裏には、喜んで遊ぶ孫の姿が浮かんできた。
それが間違いであった。プラスティックはデリケートである。
電車とレールを見た孫の欣喜雀躍ぶりは予想通りであった。レールをつないで
延長させたり(アールの関係でうまく曲線が結べない事もある)しているうちに
モーターのついている電車をポイと放り投げた。線が切れ電車は動かなくなった。
やれやれ、また分解して半田ごてでハンダ付けして組み立てたのだが、とうとう
完全にお釈迦になってしまった。そのとき「しつこい」私はなんとか動くようにし
たいと、おもちゃやに出かけた。はじめは車で大型スーパーに出かけた(これが
悪いんだな、もっと身近な商店を利用しなければいけないと思う)。そこのおもちゃ
売り場で、おもちゃの係の人にポケットの中の壊れた電車を見せた。しかし今の
店員はおもちゃのエキスパートではなく、たんなる販売員でしかない事を痛感した。
失意の私は家に帰ってから徒歩で「玉六」に向かった。
「玉六」のご主人(だろうと思うが)はさすがにプロであった。
こころの底からおもちゃを愛している方だと思った。
このようないぶし銀の味を持つ店が消え、ちゃらちゃらする薄っぺらな店が栄える
のも時代の波なのだろうか。ご主人としばらくおもちゃ談義をするうち、悲しくなって
しまった。
結局私の求める品はとっくの昔に製造中止になっていた。
ネットオークションで調べても見あたらない。HOゲージくらいかな。
動かなくなった「コムスビー」や「アームトロン」(これはネットでかなりの値段がつけらていた)
を再稼働させた私の「神の手伝説」もこれで終わった。(そうか玉六の話題だった、
脱線した)プラスティックもおれると終わりだなー。
なお噂によれば、マンションができるらしい。そこの住人が商店街で買い物をすれば
少しは「玉六」も銀店街に貢献できるか?
神の手ご披露
自慢好きな博士のために
プーちゃん(左)とコムスビー君

奇跡の復活、アームトロン(孫にとられた)

何とか元気を出そうぜー!大リーガー岩村選手もがんばっています。
追手通りの「清水のトーマンや」もいつの間にか建物が消えて
気がつけば新しく仏壇屋ができていた。
ある日ふと見れば、仏壇屋の前に旅のお遍路さんが。(右は拡大したもの)
ちょっと見ると何でも無いような光景だが、よく考えると??
何で?なんで? 飲んで!(酪連牛乳のCM)
ついでに、
8月1日、手のひらに乗る頃から飼っていた雑種のジュニアが高齢と
熱中症(推定)のために死んだ。十三、四年くらいになる。
ジュニアはかわいそうな捨て犬であった。
次男が南宇和郡の山中で拾って来たときは、色は真っ白でしっぽはネズミの
ように毛が無かった。連れてきて数日して元気がなくなり、ぐったりしてきた。
獣医の黒田さんちに連れて行ったら、環境が変わったストレスで弱っている、
との事。しかも「毛の色は白いけんど本当は茶色で、」と名医はのたまった。
さすが黒田さん。その言葉通り入院して点滴を受けて体力が回復すると薄茶色
の毛になり、しっぽも毛がふさふさ生えてきた。ジュニアが来たときには表では
同じようなタイプの「タロ」(その後大往生)がいたために裏庭で飼うことになった。
次男が仕事に出かける前にジュニアを持って家の上にる。ジュニアは布団で
眠っている家内目指してまっしぐらに突進して、頭突きをする。そんな毎日であった。
山に捨てられた時、えさとして虫を補食していたのであろうか、ハエなどの
飛んでいる虫を捕らえるのは俊敏であったが、手で投げ与えるえさを咥える
のはまったく下手であった。臆病で神経質な犬で、タロが死んだあと表につない
だが、その番犬ぶりは「馬鹿犬」として近所迷惑な存在であった。訪問者がだれ
であろうと、吠えかかり、激怒した私は犬小屋に逃げ込んだジュニアに対し小屋
を足蹴にしたり、棒でたたいたりした。かわいそうな事をしたものである。
私の怒鳴り声を聞くと、すくんでブルブルとふるえてしうようになった。
なんとか芸を教えようと思い、苦心して「おすわり」「ふせ」「お手」「まて」「ハウス」
の芸を教えたが、少し日がたつと、命令が何なのか混乱して、顔色をうかがい
ながら思いつくすべての技をする。特に老齢化するとそれが顕著になった。
生い立ちが哀れなだけに、その生涯を閉じた時は悲しみも強かった。
今でも帰宅して、自転車を庭に入れようと戸を開けると、いつもと同じように、
ジュニアがそこにいるような錯覚に陥る。結婚して別な家で暮らす次男
がジュニアにとっては最愛の飼い主であった。住まいの関係からペットを飼うことが
できないため、我が家で暮らすジュニアであるが、次男は天気が良ければ毎日
仕事の帰りに我が家に立ち寄りジュニアを散歩に連れて行くのが日課であった。
次男の車の音が聞こえると、ジュニアは待ちきれないようにキュンキュンと鳴き、
散歩にでるときは全身で喜びを表し、飛び跳ねていた。死んで一月以上経過する
というのにいなくなったという現実になかなか慣れない。
平成19年12月 何故か突然プチ遍路
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その1 |
その2 |
その3 |
その4 |
その5 |
その6 |
その7 |
その8 |
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自宅から鳥越まで |
鳥越から馬根 |
務田〜宮野下 |
宮野下商店街 |
駅〜学園街 |
龍光寺へ |
仏木寺へ |
帰途&
道の駅 |
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9時30分〜10時50分 |
〜12時7分 |
〜12時40 |
〜13時 |
〜13時30分 |
〜13時50分 |
〜14時40分 |
15時〜 |
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