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私が仏木寺を目指した事には、ちょっとした訳がある。
それはここの大日如来木像が愛媛県の文化財指定になったいきさつとも関係がある。ある人が休日になるとバスに乗ってはこの仏木寺を調査のために訪れていた。昭和30年代のことであった。そうしてここに安置してある木像が歴史的に価値の高いものである事を知ると、当時奈良国立博物館勤務の仏像の権威で宇和島出身の毛利久博士と連絡をとり、お墨付きを得て県に具申した。その結果この仏像は県指定重要文化財として選定を受けることができた。その人はこの地方に埋もれた貴重な文化財を数々発掘し日の目をあてる事を喜びとしていた。まったく金儲けとは縁遠い行為であった。さらに古くは、現在国の重要文化財に指定されている八幡浜の梅が堂の五尊仏のうち一部が古美術ブローカーの盗掘で海外に流出する寸前にそれを突き止め、県に買い上げを求めたが、当時は戦後間もない時期でもあり文化的な予算の少ない時であったため毛利博士に頼んで国に買い上げてもらい、今も奈良の博物館に安置されている。
埋もれた貴重な文化財を盗掘する歴史研究家もいれば、お金にはならなくとも人類共有の財産としてそれらを守ることを使命と考えている人が居た。
その人は決して本を書いて自慢話しを残そうとしたり、研究の成果を金で売ろうとするような器用な生き方は出来なかった。
多くの文化財保護の為に尽くしながらも病魔の為に平成13年不遇な晩年を終えた。不遇なと書いたのは、からだが衰弱したある時、家族がどうしても数日間介護施設に預けなければならず、宇和島市の悪名たかい(それは後から知った)「K」というところに預けた。数日後それまでは伝いながらも歩くことができたていたが、そこから家に戻った後、二度と自分の足で歩くことが出来なくなった。
聞くところではその「K」という施設では老人をベッドに縛り付けているらしい。
「K」に行けば元気な人もみんな悪くなると、聞いたが後の祭りであった。
若い頃は私はその人が嫌いだった時期もあったが、今、私がその人の息子である事をようやく誇りに思うようになった。
ここに来ると父に会えそうな気がするのである。 |