
平成19年5月・水源地まで歩いた−その3
おそらく、私は徘徊老人になるだろう。
そんな事を考えながら「上里橋」を後にしてダム目指すのであった。


この道路標識を憶えておいて欲しい。
ここでは丁寧にまっすぐ行ったらダムやけん、日吉は右ですらえ。と教えてくれている。
ところが、この道がバイパスと出会う三叉路には全く標識はないのである。
更に、バイパスからの道で運良く320号線に乗り日吉に向かおうとすると、途中から
「日吉」が消えて、「下鍵山」と言う「日吉」の中の一部の地名に変わるのである。

左二番目はダムで沈んだため立て替えられた華厳宗北蓮寺
宇和島自動車バスの終点。

南予水道企業団および水道局と名前もまんまの「水道橋」

水道局の前にある愛媛県立宇和島高等技術専門学校
いわゆる一つの職業訓練校。課目が減ったみたいな。

上に見える白い道が付け替え工事で出来た320号線。
かつて「仙波が峠」(この文字についてはいろいろあるので、あまり追求しないこと)(千羽なんてもあった)
はこのあたり最大の難所で、急カーブの連続で対向車とすれ違うことさえ困難であった。
須賀川ダム建設に伴い、道路は付け替えられ、昔は1時間近くかかった広見町まで、20分位で行くことが出来る。
しかし、冬季には路面凍結で事故が多発したり、スピードの出し過ぎによる死亡事故が増加した。

まっすぐ進んだら突き当たった。では後戻りしてダムの上に行くぞ。
右はダムが出来た時に協力した地元の為に作ってもらったプールだと聞く。後で上から見える。

先ほどの三叉路の戻る。色気もなにもない殺伐とした国道風景。

ホラ、左の三叉路、まったく標示がないでしょう。
場所によってはくどい程あるのに、これは初めての人にはわかりにくいでしょうな。
市内に向かう柿原トンネル。直進すると駅前に出る。(右)

市内に入る分には、このまま直進すると市内でっせ、と教えているのに。


道は次第に高くなり、左手には市内が望めるようになる。

早くも滑床の看板が、田舎の味わいが。

アイヤー!カーブを曲がるとダ、ダムが見えて来る。
この須賀川ダムは本当に有り難い。無駄なダム(逆さに読んでもムダナダム)が取りざたされているが、
少なくともこのダムに関しては宇和島市民にとってはまさに救いの源であった。
それまで、毎年断水に泣かされてきた。
宇和島に上水道が完成したのは大正15年11月で愛媛県では一番最初であった。
それまで、井戸水の汚染による、伝染病に苦しんでいた宇和島市民にとり
柿原水源地から取水した上水道は近代都市の幕開けであった。
しかし、人口増加と大きな河川を持たない宇和島にとり、断水は年中行事になってきた。
私が子供の頃には、給水車が町内を回って、バケツで水をもらいに行ったり、
水筒持参で学校に行った覚えもある。夜間断水なんていうのはごくありふれた事だった。
これだけは、当時の関係者、とりわけ山本友一市長に感謝をしなければいけない、と思う。
(他に良いことをしたという記憶はあまりないが。)

ほら、さっきのプールが下に見えるし、(左)
日吉の文字が消えて「下鍵山」になっている。(右)なぜ統一出来ないのかな?

国道から左に折れる。

おそらく悪人が毒を投入する事を想定して鯉を餌付けしているのだろうが。
いずれにしても、須賀川ダム、野村ダム、山財ダムによって南予の水瓶は確保された。
宇和島市の悲惨な断水の記録を見る
http://tack7.hp.infoseek.co.jp/nenpyou/dansui02.html


ダムの堰堤から見た市内。水が少なくなったダム湖。

後で行く予定の「新折付橋」が中心に見える(右)

水位が下がった為に昔の道や生活の跡が見えてきた。

鮎返りの滝。ここが終点。「鮎返橋」を渡ってさっきの折付橋まで上がる。
「鮎返橋」はいずれ橋物語で紹介する。

鮎返の滝がある川は須賀川だが、この「新折付橋」がかかっているのは「正し川」だそうな。


橋のたもとを右に入る。午後四時以降は立ち入り禁止。

今の(旧)水源地の様子

今は使われていないけれど、貴重な文化遺産として保存されている。

古いダムには行けなかった。

これもまんまかな「水神橋」
では、「上里橋」まで戻る。
前に戻る
次に進む
これ以前のバックナンバーはこちらをご覧ください。
城下町宇和島から・最近の宇和島
トップにもどる