
平成19年5月・水源地まで歩いた−その2

この泉町の交差点の右先に「和霊小学校」があった(左)
ここは道なりに左折する車が多いが、たまに脇道から
出てくる車がいるのでかなり警戒を要する。道なりに左に進む。

ここらは戦災に遭わなかった。古い建物と近代的な建物が混在している。

うちの孫は「あんぱんまん先生」が気に入っているらしい。

ここいらもすっかり変わった。古い製糸工場などが戦前にはあった。
しばらく前まではその名残も見られたが、いまはかつての光景を偲ぶよしもない。
(私は「いずみまち」とばかり思っていたが「いずみちょう」だとさ)

場所を示すポイントになる、泉町三叉路。
ここは柿原バイパスから北フジに買い物に来る人、56号線、松山方面に行く人の
間道となっている為交通量が多い。ちなみに後で通が、八幡様前の裏道は
飲酒運転の検問を逃れる為の裏道としてもよく使われていたが、そこは警察
が一歩先を読み、結構この先の裏道で検問をしていたとか聞いた事がある。
私は、ここを右に行く。

まっすぐ行くと北宇和島のフジに向かう、(左)

愛媛女子短期大学、通称「アイタン」に入る道(右)
愛短は理事長が替わってからは積極的に活動して、
今ではスポーツではかなり高レベルの場所になったとか。
また、中には「騙された!」と言って怒る人もいるらしいが
世界各地から学生を募集している。(中国人留学生受け入れ体制は有る程度しっかりしている)
あと、なぜか九州南部の島あたりからの学生が多いと聞いた。
学生の質が向上すれば学校のレベルも上がるだろう。

昔からあるタクシー会社(左) 向こうに見えるは「愛短」(中)
更に東へ進む。弁当を持ってくれば良かった。

この店はいろいろな意味で有名。最近はここも交通量が少なくなったが、
バイパスだ出来る前はメイン道路であった。道路に置かれた商品と客で、この前を通のはとても危なかった。
これはみな口々に言っていた。

昔は市営住宅があったところの公園。(左)
宇和島自動車学校への近道(中)

バスは今でも通る。

道は少しカーブする。ここはガソリンスタンドだったが、コインランドリーに変わった(右)

左の家はここでしばらく途切れる(左)
(右)目立たないが「拝鷹橋」である。ここは大水が出るとあふれやすいとか。

無料宣伝である。
ここを見る限りでは柿原はそれほど変わっていない、
と思った予想はやがて見事に覆された。それはまた改めて。

札場橋、うーん知らざった。

変電所は子供の頃から憶えていたが、当時はここはすでに郊外だったような気がしたが。

これが柿原の風景の基本形かなー(左)
ここの自販機は宇和島市内では最も売り上げがあると聞いたが。(右)



くすし橋、薬師橋 (やくし橋かと思っていた。)うーん知らざった。

家が道に迫っている(中)ためここを通るときは気を遣う。
やがて道しるべとして有名な酒屋が見えてくる。(右)

上里橋=あがり橋
往古に曰く、ここまで海であった。船から上がることで「上がり」という字名
がつけられた。柿原の柿は本来は海の「牡蠣」であり。以前はここの
岩に蛎殻がついたものが見つかっていた。
昭和27年8月1日発行「南豫史談」第三号
五島英夫氏「宇和島の町名及び字の研究」より引用
これは橋物語でも再使用しよう。どうせ真似をするところもでるだろう。
ついでに言うけれど、最近、やたらと私のサイトをパクル人が居るらしい。
文章、写真、まあ目くじら建てる事でもないが、
地名について、忘れるといけないから五島先生の引用
「祝森の奥に字鹽田と云う所がある。往昔此まで海であったこと。(:鹽=塩)
泰平寺前は維新前まで海水来り大人が水泳をした所である」略
ここから更に水源地を目指すが、また帰りにここに戻って来るけんね。

酒屋の前をまっすぐすすみ、緩いカーブを曲がると、眼前に、
おー。巨大なダムが見えてきた、(右)
人家、市街地に近い場所にこれ程大きなダムがあるのは
全国的にも珍しいのではなかろうか?
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