
平成19年4月・辰野川に沿って歩いた
その四・野川の奥を歩いた

桜の花も散る頃、つい忘れていた野川探検を続行した。
この日は不精をして、車で途中まで行き、知り合いの駐車場に駐めた。
金剛山の山門の桜が春風にのって綺麗に散っていた。
こういう散り際に魅力を感じ始めたのはやはり歳のせいか。

ここを左折すると早いのだが(中)、そうすると意味がないので、更にまっすぐ進む。

野川の奥に行くときはいつも時計の逆回りで行くので、この三叉路に一時停止がある事を知らなかった。

ここは教員住宅だったと思うけれど?
県職員住宅だったかな?似たような建物がこの先にもある。
この辺りには疎いので正確な事は忘れた。
ただ言えるのは、こちらの下のほうの建物にはまだ住民はいるが
上の建物は無人になっているらしい。もったいないねー。

こっちが教員住宅だったかな?こちらは現在ロープで入れないようになっている。
昔、高校の恩師を訪ねて行った覚えがあるが。

ちょうど前には分譲地がある。しばらく進むと道はわかれ、直進すると行き止まりとなる。

少し入って引き返した。こういう点でも徒歩が一番良い方法だと思う。

三叉路まで引き返し、右に下りる。

ここらが一番狭い道だ、対向車が来ようものなら「キャイーン!!」バックしなければならない。

この橋の近くに「クラブ・某」の外国人従業員専用のアパートが昔有った。俗に言われる
「ジャパゆきさん」たちであった。みな異国で働く寂しさ、悲しさを表に出さず、明るく振る舞っていた。
その彼女たちとデイトする為に宇和島の男の何人かは(私は大勢名前を知っているぞ、だが明かすことはない)
ネギを背負ってここに日参していたとか、それで、鴨が葱を背負ってくるから「賀茂橋」だとか?これは嘘である。
おそらく今はその建物もないだろう。

どの辺にあったっけ??
話が変わるが「銀馬車」もなくなったぞ。

宇和島では右端の写真のように、アロエが伸び放題になっているのをよく目にする。
話しが飛ぶが、アロエは私の頭髪には全く効果はなかった。

道は少し下り坂になってくる。先ほどの三叉路が一番高いところだった。自転車で下るのは楽だろうが、登りがしんどい。

以前は畑だったと思われるところにも住宅が建っている(左)
メイン道路は電電公社の住宅前に向かう(中)宇和島の営業所がなくなって久しい。
聞いた話では四人か三人で南予全域を担当しているとか。この住宅に住む人は少ない。
もったいない。
電電公社ではなくNTTってことは判っているが、どうしても電電公社と言いたくなる。
その住宅横の三叉路を曲がるとこのページの上から二番目の写真の場所に出る。

住宅前にはまだ畑が残っている、ここでH先生は農作業をしておいでだ。
辰野川にかかる「大鳥橋」

一度意味もなく橋を渡り、また引き返す。そう、私の人生と同じである。

この住宅前はなぜか広くなっている。そのために違法駐車が後を絶たない。
私もこの近くに所用で来るときには、ここを利用する事がある。あってはならないことだ。

この酒屋(右)と上の電電公社の住宅が道案内の目標となる。

この先のポストのある三叉路は前回の野川散策の時、楠橋を渡って戻った場所である。
おっと、また車だ、私が車で対向車が賢い人であれば、少し下がって三叉路で私と離合するだろう。
ここでは常に瞬時にそのような判断が要求される。従って疲れる道なのだ。ここに住んでいる人は偉い。
中の写真の建物は愛宕山から見たときから気になっていた。
時代はそれほど古くはないだろうが、おしゃれな建物だ。

ようやく龍華山に戻った、ちょっと回り道をする。

伊達秀宗公のお墓も花に囲まれていた。

山沿いの道を下り、潮音寺前の坂を下る。

昔はここをバイクで通行することは不可能だった、今は魚道のように横に坂道が出来ている。
乗ったまま通れるかどうかは腕次第。
ここで観音橋をわたりまた宇和津町に行き、金剛山のほうに向かう。

ここにも煉瓦の塀があった。ん?場所を教えたかな?いや、判らんだろう。
その為にわざわざ遠回りして道を外したのだが。

車の場所に戻る途中、「おたまや様」で老夫婦が静かに弁当を食べていた。

山門の桜の花びらはあいかわらず、静かに風に舞っていた。
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